Raffles Hotel Le Royalの洗練されたくつろぎ空間
Raffles Hotel Le Royal(ラッフルズ ホテル ル ロイヤル)


1929
1929年11月20日の夕刻、シソワット・モニヴォン国王(在位:1927〜1941年)や大勢の海外からのお客様をお迎えし、オープニングセレモニーが開催されました。パーティでは、豪華なビュッフェが振る舞われ、当時のサイゴンから特別に招いたオーケストラの演奏やダンスが披露されました。1929年から1931年までホテルのディレクターを務めたのは、M.L.F・ド・ラ・プサルディエールでした。1931年12月22日、『レコー ドゥ キャンボジュ』紙において、プサルディエールの辞任と、M・ジャン・バルテイの指揮によるLe Royalの新しい方針が発表されました。


1930
1930年、ホテル内にクメールの伝統工芸品を取り扱うブティックの開業が発案されました。当時、カンボジアの伝統芸術の育成、支援、マーケティングを主導していたのは博物館でした。ラッフルズ インターナショナルが出版した『フェイブルズ』(1998年、第3巻)の「フラジャイル ファインアーツ」という章に、当ホテルが現在は王立芸術大学として知られているこの団体の芸術家たちとのつながりを回復しようとしていたという興味深い記述があります。


1936
1936年4月、人気俳優チャーリー・チャップリンは、「モダン タイムス」で共演したポーレット・ゴダードとともに、アンコールへ向かう道中でプノンペンを訪問。ポーレットの母親であるゴダード夫人やチャップリンの日本人秘書を含む一行は、ル ロイヤルに滞在しました。


1957
本館上階の客室に加えて、バンガロー30棟とスタジオ6室が新たに稼働。バンガローは敷地の両側と奥に設置されました。1957~1958年に行われたこの拡張・改装工事の指揮を執ったのは、建築家のアンリ・シャテルです。シャテルはスタジオ バンガロー、屋外レストランのル シレーヌ(「水の精」の意)、プール、テラスを増築し、エントランスホールおよび調度品の改装・修復を行いました。スタジオ スイートは正面玄関ロビー(現在はレストラン ル ロイヤルおよびホテルのブティック アーケードが入っています)を挟んだ東西の建物2フロアに配置されています。


1965
1965年末、ル ロイヤルはエアコン完備のバス付きシングルルームを465リエルで販売していましたが(1966年4月当時1米ドルは35リエル)、ホテル ル ロイヤルやシェムリアップのグランド ホテル ダンコール、その他一部のホテルのために特別な為替レートが適用され、これらのホテルはこの優遇レートによりさらに競争力が強化されました。


1970
カンボジアはシハヌーク国王の時代に大きく発展し、1970年代初めには観光産業が活況を呈しましたが、ロン・ノル将軍が政権を握った時代(1970~75年)、それに続く1975年4月からのポル・ポト政権時代には観光客も激減しました。ポル・ポトによる狂気の支配は3年8ヶ月20日続き、その間には大規模な飢餓が発生し、大虐殺が行われました。プノンペンはポル・ポトが政権を握って48時間で封鎖され、1979年までゴーストタウンと化してしまったのです。


1980
クメール ルージュ崩壊後、当ホテルは1980年に「ホテル サマッキ」(「サマッキ」は団結の意)として営業を再開し、経営は国際援助機関に引き継がれました。1990年代初めにはカンボジアは国連の監視下に置かれ、この期間中は国際連合カンボジア暫定統治機構の職員がこの地を統治しました。


1996
ラッフルズ インターナショナルの管理の下、1996年5月に改装工事が始まり、当ホテルは生まれ変わりました。敷地を取り囲むように配置されていたバンガローは取り壊し、代わりに3棟の立派なウィングを建設。本館はそのまま保存され、全面的なリノベーションが行われました。この改装工事により、東南アジアにおける新たな一流ホテルにふさわしく、ホテルの収容人数および機能は劇的に増加・向上しました。


1997
大規模な改装を終え、Raffles Hotel Le Royal(ラッフルズ ホテル ル ロイヤル)は1997年11月24日に営業を再開しました。まもなく創業90年を迎えるこのホテルは、プノンペンで最も格式高いホテルとして今日もお客様をお迎えしています。
Raffles Hotel Le Royal(ラッフルズ ホテル ル ロイヤル)
1887年から受け継がれる伝統のサービス。当ホテルの評判は世界に広まっています。
Raffles Hotel Le Royal(ラッフルズ ホテル ル ロイヤル)
時代を超えた伝統を持つ、壮麗で歴史あるホテル。