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ホテル年表

ラッフルズ ホテルの沿革

18879月、地元紙に次のような小さな記事が掲載されました。「ペナン島でEastern & Oriental Hotel(イースタン アンド オリエンタル ホテル)を経営するサーキーズ兄弟が、シンガポールにホテルをオープン予定。同ホテルはシンガポールの創設者、スタンフォード・ラッフルズ卿にちなんだ名称となる。ロケーション:ビーチ ロードとブラス バサー ロードの交差点にある古いバンガロー(前所有者はアラブの貿易商、モハメッド・アルサゴフ)」。12月1日、全10室を擁するRaffles Hotel(ラッフルズ ホテル)として開業。その後数年をかけて、バンガローの両ウィングが増設されます。

1888作家であり東洋の海を旅した船乗り、ジョセフ・コンラッドは、最も初期にラッフルズ ホテルに訪れたゲストの一人と言われています。それからほどなくして、世界一周旅行の道中にあった若きラドヤード・キップリングがRaffles Hotelに立ち寄りました。ホテルで食事をしたキップリングは、「Feed at Raffles(ラッフルズで食事を)」という言葉を残しています。この二人の作家の滞在以降、ホテルには文豪や文学にまつわる数々の逸話が残されています。

18925月、サーキーズは事業を拡大し、ラッフルズ プレイスにラッフルズ ティフィンルームをオープンしました。長男のマーティン・サーキーズは事業から撤退。残りの兄弟たちは、ティグランがシンガポールでの事業を管理、アヴィエトがラングーン(現ヤンゴン)でStrand Hotel(ストランド ホテル)開業に向けての指揮を取り、一族が所有するホテルの中で最も歴史のあるペナン島のEastern & Oriental Hotelの経営をアーシャクが行っていました。

189412月、パーム コート ウィングがオープン。

189911月18日、ラッフルズ ホテルの有名な本館が完成し、華々しくオープン。ここからがホテルの全盛期となります。エレガントなネオネッサンス建築と広々とした空間が特徴の、快適でスタイリッシュなホテルでした。シンガポール初の電気照明と扇風機、フレンチシェフも採用されました。Raffles Hotelは急速に人気を集め、旅行者やシンガポールの居住者が足しげく通うホテルとなりました。

19028月、シンガポールで殺処分されることとなった最後の虎がRaffles Hotelに逃げ込み、当時、高床式だったバー&ビリヤード ルームの下に潜んでいるところを射殺されました。

1904ブラス バサー ウィングがオープン。これによりラッフルズ ホテルは、「スエズ運河以東で最も豪華な建物」と当時の新聞で評されました。ディナーダンスからスケート ディナー、ビリヤード大会まで数々の社交イベントの会場となり、世界中からやってくる旅行者をお迎えしました。

1907バー&ビリヤード ルームは拡張され、テーブルは2台から6台に増えました。10年後にゲストルームに姿を変えることになる本館は、当時、街のランドマークとして親しまれました。

1910ラッフルズ ホテル郵便局がオープンし、1920年代後半までホテルの宿泊者や周辺地域の人々に利用されました。1910年までに、バーテンダー嚴崇文(Ngiam Tong Boon)が、カクテル、ミリオン ダラーとシンガポール スリングを考案。正確な年は不明です。

1913本館正面にステンドグラスが施された鋳鉄製のベランダが設置されました。ここでは飲み物を片手に心地よい潮風を楽しむことができ、旅行者にも人気の場所でした。

1915A・ディーツが「ザ ラッフルズ マーチ」を作曲。この曲はティグラン・サーキーズに捧げられました。

1920ベランダは開放的なボールルームに変わり、瞬く間に「アジアで最も贅沢なボールルーム」と評判を得ました。

1921サマセット・モームが初めてラッフルズ ホテルを訪れ、その後1926年と1959年に再訪しました。午前中にパーム コートのプルメリアの木の下の席で執筆を行うのが日課だったサマセット・モームは、ディナーパーティで耳にしたゴシップやスキャンダルのネタを数々の有名作品の中に盛り込んでいたという伝説があります。

ここからの10年で、シンガポールおよびマラヤの「旅行産業」は大きく成長することになります。この流れを受けて、ホテルでは独自のガイドブックを発行しました。その後も、チャーリー・チャップリン、モーリス・シュヴァリエ、フランク・バック、ジーン・ハーロウといった富豪やセレブをお迎えしました。

1930イギリスの脚本家、小説家、俳優であるノエル・カワードが、アマースト男爵と一緒に滞在しました。滞在中、カワードはある巡業一座がビクトリア シアターで上演していた舞台「旅路の果て」で、キャプテン・スタンホープの役を演じています。

1931大恐慌とマラヤのゴム取引の急激な落ち込みにより、植民地経済は大きな打撃を受け、Raffles Hotelの業績も悪化しました。4人兄弟のうち最後まで存命であったアーシャク・サーキーズの死後まもなく、サーキーズ兄弟が経営していたRaffles HotelおよびペナンのEastern & Oriental Hotelの両ホテルは経営破綻しました。

1933ホテルの財務問題は解決され、新会社Raffles Hotel Ltdが設立。スイス人のテディー・トローラーが総支配人に就任しました。ラッフルズ ホテルの強力なライバルだったHotel De L’Europe(ホテル ドゥ ルーロップ)が閉館しました。

1941第二次世界大戦では、シンガポールも戦火の地となりました。日本軍がシンガポールを攻撃し、イギリス海軍の戦艦プリンス オブ ウェールズおよびレパルスがマラヤの沖合で撃沈されました。侵攻する日本軍に対し、イギリス連合軍はマレー半島を下り、ラッフルズ ホテルに集結。

1942イギリス人入植者たちはホテルに集まって「どんな時もイギリスがある」と歌い踊り、一方でシンガポールが日本軍によって陥落しました。

1945日本軍は連合軍に降伏し、海軍大将ルイス・マウントバッテン卿はシンガポールのイギリスへの返還に応じました。Raffles Hotelは、軍政下で解放された戦争捕虜の一時収容キャンプとなり、かつての輝きは失われてしまいました。

1953ラッフルズ グリルは、エリザベス2世女王の即位を記念して「エリザベス朝グリル」と改名されました。1950年代には、エヴァ・ガードナー、エリザベス・テイラーなどの著名人がホテルを訪れました。

1963シンガポール、マラヤ、サバ、サラワクがマレーシア連邦を結成。

1965シンガポールが連邦から分離独立。

1967映画「Pretty Polly」(出演:トレヴァー・ハワード、ヘイリー・ミルズ)の撮影がRaffles Hotelで行われました。

1986寅年のこの年に、創業99周年を迎えました。この年の1月1日には、ホテルのビリヤード台の上で生きた虎が撮影されました。

1987シンガポール政府により、ラッフルズ ホテルは国の記念建造物に認定されました。

19893月、ホテルを一時休業して全面修復を実施。多額を投じたプロジェクトにより、1910年代~1920年代のエレガントな外観を再現。世界の一流ホテルとしての地位を確かなものにしました。

19919月16日、優雅な1915年の全盛期時代のように生まれ変わり、ラッフルズ ホテルは営業を再開しました。

11月1日、ラッフルズ ホテル アーケードがオープン。65軒の専門ショップ、飲食施設、ラッフルズ ホテル ミュージアムとミュージアムショップ、ジュビリーホール シアター プレイハウス、5つのファンクションエリアなど、施設や見どころがさらに充実しました。

1992国の記念建造物として認定された記念に、ラッフルズ ホテルの本館入り口に銘板が飾られました。

ホテルの歴史や復興の様子を正確に記録した、豪華なイラスト入りの上製本『ラッフルズ ホテル』を出版。

クリスマスのガラディナーとツリー オークションのチャリティイベントが行われ、毎年恒例の伝統行事となりました。

1993ホテルとその歴史をユーモアたっぷりに描いた『ラッフルズ - ジ アントールド ストーリー』を出版。

ロビーで開催される大晦日のガラパーティの伝統が復活しました。

イタリアの著名なアーティスト、カルロ・マルキオリがラッフルズを再訪し、クラシックな雰囲気を持つホテルのファンクションエリア、ザ ボールルームおよびジュビリーホールの外壁や廊下に、昔のアジアの風景や踊っている人々をモチーフにしたエレガントなフレスコ画を描きました。

19961904年に建てられたラッフルズ ホテルのブラス バサー ウィングは、ラッフルズInc.として再建されました。アジアで「最大級のステート ルーム」とされた18室を備え、歴史的な魅力が詰まったこのお部屋はビジネスでご滞在のお客様にも人気です。

ラッフルズ ホテル アーケードに美しいフラワーブティック、サー チャールズ - フラワーズ フォー ザ ジェントルマンがオープン。個性あふれるフローリスト、サー チャールズが大切な人に気持ちを伝える特別な日のための花束をご用意いたします。

11月22日、チリの国民的な現代詩人であり、1971年にノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダに敬意を表して、ホテルのコートヤードウィングにパブロ ネルーダ スイートを設置。このスイートは、チリのエドゥアルド・フレイ大統領の定宿として使用されました。

グレン・クローズやジーン・シモンズが出演した、製作費2,000万米ドルのハリウッド映画の撮影が、Raffles Hotelで行われました。受賞歴のあるブルース・ベレスフォードによる脚本・監督の「Paradise Road」では、壮麗なホテルのファサードが登場しています。

19989月14日、旅とラッフルズ ホテルを生涯にわたって愛したピューリッツァー賞受賞の小説家、ジェームズ・A・ミッチェナーに敬意を表したスイートを作りました。

ホテルの創業111周年の記念日となる1998年9月16日に、同スイートの利用を開始しました。

2000ロングバーの成功を受け、ロングバー ステーキハウスがオープン。一風変わったステーキハウスで、プランテーション初期の素朴で懐かしい味わいを組み合わせたお料理をご提供しています。

2004117周年を祝して大手腕時計メーカーのロンジンと協力し、ロンジン ラッフルズ コレクションとして限定117本の美しいタイムピースを製作しました。

20072007年9月16日(日)、120周年を記念して心に残る壮大な祝賀レセプションを行いました。コロニアル様式のホテルのグランドロビーにレセプションのセンターステージを設置し、シンガポールの内閣顧問リー・クアンユー氏をイベントの主賓としてお招きしました。

2010ラッフルズ ホテルの歴史案内人の物語やグランドデイムとのユニークな関係を描いた書籍、『メモリーズ オブ ラッフルズ オリジナル』を出版。当時をユーモラスに懐かしむこの自叙伝の中で、メンテナンス部門での慎ましい下積み時代から初の歴史案内人になるまでの40年近い年月が描かれています。

2012ラッフルズ ホテルは125年を記念し、ホテルの記念日をセンス良くスタイリッシュに祝うようになりました。ジャガー・ルクルトの歴史は180年近く前に遡ります。ラッフルズの125周年を祝して、ジャガー・ルクルトは「ラッフルズ ホテル 1887年~2012年 シンガポール」という刻印を特別に掘りました。男性用レベルソ・グランド・タイユおよび女性用グランド・レベルソ・レディ・ウルトラスリムがございます。

2015ラッフルズ ホテルでは2015年、世界的に有名なカクテル、シンガポールスリングの誕生100周年を祝ってさまざまな行事を行います。国を代表するカクテルとして広く認知されているシンガポール スリングは、1915年に、ラッフルズ ホテルのバーテンダー嚴崇文(Ngiam Tong Boon)によって生み出されました。やがて国際的に知られるようになり、1世紀経った現在でも世界各地で愛飲されています。

2015ラッフルズ ホテル&リゾートはシップスミス社と提携し、オリジナルのジン、ラッフルズ1915を開発しました。シップスミスの共同創立者サム・ゴールズワーシーは、スタンフォード・ラッフルズ卿の直系の子孫でもあります。ラッフルズ1915ジンは、ロンドンにあるシップスミス蒸留所のシップスミス マスター ディスティラー、ジェアード・ブラウンが、ラッフルズ ホテル&リゾートのためだけに作ったジンです。受賞歴を誇るシップスミス ロンドン ドライジンに使われている定番の植物とともに、ジャスミンの花やポメロの皮(フレッシュ)、レモングラス、コブミカンの葉、ナツメグ、カルダモンといったマレー半島の植物を蒸留した、まったく新しい組み合わせのジンです。

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ラッフルズ。1887年から受け継がれる伝統のサービス。